在日タイ留学生協会は、日本に留学するタイ人留学生によって構成される団体である。日本在住のタイ人留学生の団結を促進し、有益な活動を行うこと、学生・政府関係者・在日タイ人との関係を深めること、さらにタイと日本の文化交流の架け橋となることを目的として設立された。
日本における初期のタイ人留学生
日本におけるタイ人留学生の歴史は、チュラロンコン王の治世にまで遡ることができる。1895年、ウアム氏というタイ人学生が、ジャヤンタ・モンコン親王の支援のもと、日本語を学ぶために日本へ渡航した。その後、ウアム氏は日本のシャム領事館で通訳として勤務し、1901年にバンコクへ帰国した。
次の留学生グループは、1903年にサオワパー・ポンシー王妃によって選抜された男子4名・女子4名の計8名であり、絵画、織物、養蚕、製糸などを学ぶために日本へ派遣された。また、このほかにも陸軍士官候補生、海軍士官候補生、私費留学生などが日本へ留学していたが、その人数は20名未満と少数であった。この時期には、留学生団体が組織されたという記録は確認されていない。
その後、1932年のシャム革命以降、タイ人留学生数は大幅に増加した。これは、人民党政権が日本との友好的な外交政策を推進したことによるものである。文官・武官双方の視察団や留学生が日本へ派遣され、日本側もまた、政府・民間の双方においてアジア諸地域への影響力拡大を積極的に図っていた。一方、タイ側では、日本への留学は欧米への留学よりも費用対効果が高いこと、さらに日本を同じアジア国家として認識していたことから、日本留学に大きな利点を見出していた。
こうした背景のもと、日本におけるタイ人留学生数は急増した。1935年にはわずか28名であった留学生数は、翌年には70名へと増加した。これらの学生には、タイ政府奨学金を受給する者と民間奨学金を受給する者の双方が含まれており、進学先の教育機関も多様化していった。
在日タイ留学生協会の誕生
この時期に、在日タイ留学生協会が設立された。当時東京駐在大使であったプラ・ミットラカム・ラクサは、留学生数の増加に伴い、適切な指導が行われなければ学生の行動が学業や国家の名誉に悪影響を及ぼす可能性を懸念していた。そのため、1934年6月24日にタイ留学生協会を設立した。同協会では、毎週集会を開き、学生たちがタイ料理を共に楽しむ活動などが行われていた。
その後、組織体制が整備されるにつれ、正式名称を「在日タイ留学生協会」とし、当時の国名に基づき英語名称を "The Association of the Siamese Students in Japan" と定めた。事務所は東京市渋谷区穏田二丁目53番地に置かれた。
その後も協会活動は着実に発展を続けた。1937年、当時の会長であったプラシット・ニラーヨン氏は、タイ王国領事館に対して王室擁護の申請を行った。領事館は協会規約などの関係書類を審査し、タイ外務省を通じて手続きを進めた。そして1939年4月4日、正式に王室擁護団体として認可された。当時の会長はワリー・ポンウェート氏であった。そのため、協会執行部の代数は、王室擁護を受けた時点を起点として数えられている。
1934年の創設以来、在日タイ留学生協会は着実かつ継続的に発展してきた。当初は東京および関東地方のみで活動していたが、現在では日本全国の各地域を網羅する運営体制を整えており、あらゆる教育段階のタイ人留学生を対象として活動している。また、日本の政府機関および民間団体からも強い支援を受けており、とりわけ在東京タイ王国大使館、在大阪タイ王国総領事館、在福岡タイ王国総領事館との密接な協力関係を有している。
在日タイ留学生協会の活動には、学術・社会・文化の各分野における継続的かつ有益な事業が含まれている。学術分野では学術セミナーの開催、進学・教育相談、研究要旨の収集などを行い、社会分野ではタイ人留学生スポーツ大会、スキー活動、ボランティア活動などを実施している。また文化分野では、タイ展覧会、ソンクラーン祭、ロイクラトン祭などを開催している。これらの活動を通じて、協会は「タイ人留学生による、タイ人留学生のための協会」として発展を続けている。
